最底辺のあがき

世の最底辺の弱者男性ひきこもり、目標立てて実行していきたいと思います https://twitter.com/hikky_pierrot

少年Aの「絶歌」を読むひきこもり

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神戸連続殺傷事件の犯人である少年Aの書いた絶歌という本を今更ながらに読んでみた。

この本は図書館での取り扱いすら色々揉めたものなので、うちの市内の図書館すべて合わせても1冊しかなく、予約してから自分の番になるまで3年ぐらいかかったという伝説の本。コロナ禍で図書館利用も全くしなくなったのだけれど、3年という歳月の重さを無視することもできず重い体を引きずって久々に図書館に行って借りてきた。


この本の流れ的を軽く紹介すると、

最愛のおばあちゃんの死

おばあちゃんの部屋でおばあちゃんの死を悼みながら偶然デンマオナニーかまして性的サディズムに目覚める

性的サディズムの目覚めによって、なめくじや猫を殺して、ついには少年少女を殺す

少年院での暮らしはほぼ触れず、出所後に自分の存在を隠しながら底辺労働で苦労した日々をつづる

まあこんな感じかな。
性的サディズムの記述に関しては、少年の頭部を風呂場に持ち込んで射精したみたいなことを匂わせてる文もあって最低としか言いようがない。犯罪者の手記って意外と共感できるところもあるのだけれど、少年Aに関しては少なくとも犯行時の心境に対しては全く理解できない。両親の手記である「少年Aこの子を生んで…」なども見たことがあるけど家庭内に特別問題があったとも思えないのでなおさらである。
元少年Aは自分のことをクラスの誰も興味がないカオナシと言ってるけど、中学時代には友達とつるんで万引きを繰り返したりもしてる。
自分みたいなガチの陰キャでマジで何もしなかったカオナシからすれば、中学時代の少年Aのカオナシはなんか違う感がある。



『底辺労働と酒鬼薔薇聖斗を隠し続けることの辛さ』


この本の後半部は酒鬼薔薇聖斗だということを隠しつつ底辺労働に従事しながら懸命に生きてる姿を書いてるのだけれど、やはりこれが非常に厳しく辛い内容になっている。

誰とも関われないがゆえに休みも取らず作業することで逆に職場いじめの対象になってしまったり、先輩に食事に招待されても幸せな家族を見ると精神的に不安定になって逃げ出したり。

あれだけのことをしでかしたやつだからこれぐらい悩むのは当然という人も多いだろうけど、自分はさすがにそれはかわいそうと思ってしまう。底辺労働なんて普通に生きるだけでも地獄だろうに、それに加えて、酒鬼薔薇聖斗ということを絶対に隠さなきゃいけないという重い十字架を背負い続けたら身も心もずたずたになってしまうのは容易に想像できてしまうのだ。



【更生はしたのか?】

この本が出版された時に「更生は失敗してしまった」みたいな報道が数多くなされてたと思うけど本当にそうなのかと改めて問いたい。

引用
大人になった今の僕が、もし十代の少年に「どうして人を殺してはいけないのですか?」と問われたら、ただこうとしか言えない。
「どうしていけないのかは、わかりません。でも絶対に、絶対にしないでください。もしやったら、あなたが想像しているよりもずっと、あなた自身が苦しむことになるから」



これは出版当時、マスコミに身勝手だと批判された記述なんだけど、元少年Aが酒鬼薔薇聖斗であることを隠して底辺労働社会を生き抜いてきた辛さに対する率直な感想としか自分には思えなかった。

引用
自分が死に値する人間であると実感すればするほど、どうしようもなく、もうどうしようもなく、自分でも嫌になるくらい、「生きたい」「生きさせてほしい」と願ってしまうのです。みっともなく、厭ったらしく「生」を渇望してしまうのです。


10代前半の彼は「生きるのが怖い。早く死刑にしてくれ」と願っていたわけで、それが30代になり「どうしても生きたい」に変わった。「絶歌」出版は少年院教育の失敗とも言われてたけど、死にたいから生きたいと言わせただけでも十分成功だったと言える気がするのは自分だけなんだろうか。


【収まりの良い形は14歳当時の死刑しかなかった】

絶歌出版に関しては、取り巻く環境から金銭的に追い詰められた元少年Aが仕方なく過去を掘り出さざるを得なかったというのが読後の感想です(最初に相談した幻冬舎の社長には数百万の借金をしていたらしい)

少年法で死刑を避けるのならもっと長期的に遺族に謝罪できるような環境が必要で、加害者といえども追い込みすぎるとこの元少年Aみたいにどんどん苦しくなって暴発しちゃう。
まあ今の社会で加害者の長期的な視点の環境作りなんてできるわけもないので、難しい話ではあるけれど、やはり無理に少年法で救わずに当時死刑にしていた方がよっぽど全体的な収まりが良かった気がした。